2014年5月15日木曜日

謎詩20番と、古英語詩のしくみについて


古英語の詩には、今で言う「詩」とは大分違ったスタイルがあります。私も理解が及ばないところが多く、またその様式や規則についてはさまざまな意見がありどれが正しいというのも難しいところですが、知っていることを書いていこうと思います。


今回は、一番とっつきやすい「韻」とその歴史について。


1.韻の仕組み

下の謎詩20番を見ていただくと、脚韻を踏んでいないことがわかります。
 たとえば、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』にも出てきた、ハンプティダンプティのマザーグースの歌は、
'Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall...'
の2行で始まります。この行末の2語の語尾が一致するのが脚韻。リズムが良くて、唱えやすいと思います。
 この「脚韻」というテクニックは、主に中英語の時代に流行し始めました(例外はありますが)。というのも、ノルマン・コンクエストによってアングロ・サクソン人による支配が一旦終わりを告げ、それと同時に政治言語を含める支配層の言語がノルマン系のフランス語に代わったからです。古英語詩の伝統は、一度ここで途絶えたかに見えます。(この後、14世紀ごろにイングランド北部で古英語詩を髣髴とさせるスタイルの詩が流行し始める時期があり、それが復興なのか継続なのかは、意見の割れるところです)


古英語の詩は、基本的には「頭韻」を踏んでいきます。
下の20番からの抜粋をご覧ください。

'Mec on þissum dagum   dēadne ofgēafon
 fæder ond mōdor;   ne wæs mē feorh þā gēn,
 ealdor in innan.   Þā mec ān ongon,...'


音読していくととてもわかりやすいのですが、語の初めの音が同じものがあります。これが頭韻です。最後の行だけは同じではありませんが、これについては後で説明します。
 頭韻を踏む言葉と踏まない言葉は、その単語に強勢(アクセント)があるかどうかで決まります。たとえば、onなどは強勢がないので、頭韻を踏むことはまずありません。
 また、全ての強勢がある言葉が頭韻を踏まねばならないわけでありません。主なパターンは以下のとおりです。aが頭韻を踏む単語、その他は頭韻を踏まない単語(のまとまり)を表します。古英語詩は1行が2つの詩行で構成されており、真ん中の|は、詩行の分かれ目を表します。こちらは特に詩のリズムと深くかかわってくるので、また別の機会に。

xa|ay
ax|ay
aa|ax

このルールに照らしてみると、1行目の'Mec on...'はxa|ayであることがわかります。'fæder ond...'は、ax|ayでしょう。最後の行は、aa|axだと思います。

 最後の'ealdor in innan...'の行は、どの語も同じ音では始まらないので、一見頭韻を無視しているようにも見えます。実は単語が母音で始まる場合は、他のどんな母音で始まる単語と合わせても良いのです。また、ānは2文字の単語なので本当に強勢がかかるのか?と不思議かと思いますが、長母音なので強勢が付くのです(確か授業でそういう話がありました)。


2.歴史

 さて、なぜ頭韻が好まれたのか。
 アングロ・サクソン人は、5世紀ごろにブリテン島へと移住してきたと言われています。頭韻詩の伝統は彼らが海を渡る前、大陸にいた時代から受け継がれたものだと考えられています。その頃のアングロ・サクソン人は、文字を使うことがあまりありませんでした。ルーン文字はおそらくあったのだとは思いますが、これは文章を記すよりも、呪術的な要素が強く日常的には使用されなかったと見られています。
 アングロ・サクソン人がラテン文字を書くようになったのは、キリスト教が普及した7世紀ごろから。この頃まで、詩などは口伝えだったようです。(ここらへんで歯切れが悪くなるのは、当然同時代の文献がないので、何でも推定になってしまうからです。)『ベーオウルフ』にあるように、またサットン・フーの船塚から発見された竪琴が証拠付けるように、宮廷には宮廷付きの詩人がいました*。また、庶民の間でも祝い事などで、詩を暗誦する習慣があったり、司祭が説教を行う際、まず世俗の詩を歌い民衆の注意を引いたという記録もあります。
 (*とはいえ、この竪琴はファンタジー作品などでよくあるように、女性が爪弾きながら澄んだ声で歌う…というようなものではないそうです。宴会などで男性が弾くものだったようです。旋律は、残念ながらよくわかっていませんが、恐らく単旋律であまり技巧の凝らしていないものだったと考えられています。)
 頭韻は、長い詩を暗誦する必要がある人にとって、記憶の助けとなったと言われています。また、同じ音を繰り返すことは、聞いたものを読み返すことのできない聴衆にとっても、記憶の補助となり、より印象深くなったのだろうと考察されています。




古英語、現代英語、日本語の順に載せています。答えは、反転してどうぞ。



Riddle 20
Mec on þissum dagum   dēadne ofgēafon
fæder ond mōdor;   ne wæs mē feorh þā gēn,
ealdor in innan.   Þā mec ān ongon,
welhold mēge,   wēdum þeccan,
hēold ond freoþode,   hlēosceorpe wrāh
swā ārlīce   swā hire āgen bearn,
oþþæt ic under scēate,   swā mīn gesceapu wǣron,
ungesibbum wearð   ēacen gǣste.
Mec sēo friþemǣg   fēdde siþþan,
oþþæt ic āweox,   wīddor meahte
sīþas āsettan.   Hēo hæfde swǣsra þȳ lǣs
suna ond dohtra,   þȳ hēo swā dyde.


Father and mother abandoned me dead recently;
life was not yet in me,
nor age inside. Then someone began me,
a very kind kinswoman, covers me with clothing,
held and protected, wrapped (me) in protecting garment
as kindly as to her own sons, until I under the surface, 
as my fate was, unrelated (I) was endowed with spirit.
That protective woman fed me afterwards,
until I grow up, and can set out on journeys far and wide.
She held her beloved son and daughters less, by she having      done so.


私は死んだものとして父と母に最近見放された。
命は私にまだなかった、
その中では年をとっていなかった。それから誰かが私を始めたのだ。
とても親切な親族の女性が私に覆いをかけ、
抱いて保護し、守るために衣服で包み
自分の息子たちに対してするように扱った。そこで血を分かたない私は表面下で、
魂を与えられた。私に運命付けられていたように。
その庇護者の女性はその後私に食べ物を与え、
私が成長し、遠く広く旅に出られるようになるまで続けた。
彼女はそうしたことで、より少ない数の最愛の息子や娘たちを抱くことになった。


答え:カッコウの雛。カッコウが托卵することが表現されています。「親族の女性」は、托卵された側の母鳥。同じ鳥類だから「親族」なのでしょうか。「衣服」は、他の謎詩でも出てくることがありますが、羽根の言い換え表現になることがあります。そして、この詩を作った人たちは、カッコウが育つことで、托卵された側の鳥の雛たちの多くが生き残れないことも知っていたのでしょう。
参考文献:
-Bruce Mitchell and Fred C. Robinson(2011)A Guide to Old English
-Peter Baker (2012)Introduction to Old English
-Ed. Malcolm and Lapidge (2013) The Cambridge Companion to Old English Literature (second edition)

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